アンコールへの長い道
何故それほどまでに人はアンコール遺跡に惹かれるのか。その歴史と現在を旅する。
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- 関連ワード
- アンコールへの長い道
- タイトル
- 著者・編者・訳者
- 土方美雄著
- 発行年月日
- 1999年 4月 30日
- 定価
- 2,750円
- ISBN
- ISBN4-7948-0448-2
- 判型
- 四六判上製
- 頁数
- 320ページ
著者・編者・訳者紹介
土方美雄(ひじかた・よしお)
1951年、神奈川県生まれ。漫画原作者、フリーライター等を経て、現在は主に業界紙の編集に従事しつつ、年に数回、東南アジアや中米への旅に出掛ける日々。古代アメリカ研究会会員。主な著書に、『君はオリンピックを見たか』(共著/社会評論社、1998年)、『アンコールへの長い道』(新評論、1999年)、『マヤ終焉』(新評論、1999年)、『写真でわかる謎への旅/メキシコ』(共著/雷鳥社、2001年)など。
著者ブログ:「土方美雄の日々これ・・・」
1951年、神奈川県生まれ。漫画原作者、フリーライター等を経て、現在は主に業界紙の編集に従事しつつ、年に数回、東南アジアや中米への旅に出掛ける日々。古代アメリカ研究会会員。主な著書に、『君はオリンピックを見たか』(共著/社会評論社、1998年)、『アンコールへの長い道』(新評論、1999年)、『マヤ終焉』(新評論、1999年)、『写真でわかる謎への旅/メキシコ』(共著/雷鳥社、2001年)など。
著者ブログ:「土方美雄の日々これ・・・」
内 容
かつて東北タイのピマーイ遺跡から、カンボジアのアンコール王都まで、一本の長い道が続いていた時代があった。しかしながら、私が初めてピマーイ遺跡を訪れた1991年には、この道はポル・ポト派という見えない人間の壁によって塞がれ、決して通ることの出来ない、幻の道となっていたのである。
本書は1991年から1998年にかけての8年間の、私のアンコールへの長い道を辿る旅の記録である。私はこの「風化する石たちの紡ぐ『夢』〜東北タイのクメール遺跡」「『宿敵』としてのチャンパ」「アンコールへの想い、アンコールへの現実」「クメールの故郷・チャンパサックの地へ〜ワット・プーへの旅〜」「旅の途上にて〜1997年10月、非常事態下でのアンコール〜」「バンテアイ・スレイとバンテアイ・サムレ〜平和の予兆〜」という6つの物語を、その旅から戻って、また次の旅に出るまでの、心の空白を埋めるものとして、書き続けてきた。
アンコール・ワットの第一回廊と第二回廊を結ぶ中回廊には、「肥州の住人森本右近太夫一房」という人が1632年に残した墨書(落書き)が、今も残っている。江戸時代の初期に、はるばる海を渡って、当時多くの日本人が仏教の聖地「祇園精舎」であると信じて疑わなかったアンコール・ワットまで、亡父の菩提を弔うためにやってきた日本人がいたことを、この墨書は私たちに教えてくれる。そして、森本右近太一房の時代から今日まで、実に多くの日本人が、その偉容に惹かれてアンコール遺跡群を、訪れ続けてきた。アンコール・ワットの写真をどうしても撮りたいと、内戦下のカンボジアに潜入し、捕らえられてスパイとして処刑されてしまった報道カメラマンの一ノ瀬泰造のように、そのために命を落とした者すらいる。何故それほどまでに人はアンコール遺跡に惹かれるのか、それを探る私の旅は同時に、そのクメール王朝の末裔であるカンボジアの人々の、内戦に翻弄される悲しい歴史を、しかも現在進行型のかたちで、垣間見せられた旅でもあった。
たかが旅、しかし旅の重さをズッシリと、私は今、この身に感じている。読んでいただければ、幸いである。
本書は1991年から1998年にかけての8年間の、私のアンコールへの長い道を辿る旅の記録である。私はこの「風化する石たちの紡ぐ『夢』〜東北タイのクメール遺跡」「『宿敵』としてのチャンパ」「アンコールへの想い、アンコールへの現実」「クメールの故郷・チャンパサックの地へ〜ワット・プーへの旅〜」「旅の途上にて〜1997年10月、非常事態下でのアンコール〜」「バンテアイ・スレイとバンテアイ・サムレ〜平和の予兆〜」という6つの物語を、その旅から戻って、また次の旅に出るまでの、心の空白を埋めるものとして、書き続けてきた。
アンコール・ワットの第一回廊と第二回廊を結ぶ中回廊には、「肥州の住人森本右近太夫一房」という人が1632年に残した墨書(落書き)が、今も残っている。江戸時代の初期に、はるばる海を渡って、当時多くの日本人が仏教の聖地「祇園精舎」であると信じて疑わなかったアンコール・ワットまで、亡父の菩提を弔うためにやってきた日本人がいたことを、この墨書は私たちに教えてくれる。そして、森本右近太一房の時代から今日まで、実に多くの日本人が、その偉容に惹かれてアンコール遺跡群を、訪れ続けてきた。アンコール・ワットの写真をどうしても撮りたいと、内戦下のカンボジアに潜入し、捕らえられてスパイとして処刑されてしまった報道カメラマンの一ノ瀬泰造のように、そのために命を落とした者すらいる。何故それほどまでに人はアンコール遺跡に惹かれるのか、それを探る私の旅は同時に、そのクメール王朝の末裔であるカンボジアの人々の、内戦に翻弄される悲しい歴史を、しかも現在進行型のかたちで、垣間見せられた旅でもあった。
たかが旅、しかし旅の重さをズッシリと、私は今、この身に感じている。読んでいただければ、幸いである。