偶有からの哲学(アクシデントからの哲学)
人間の全ての営みに外在する「偶有(偶然)性のプロセス」から現代人の生のあり方を考える。
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- 関連ワード
- 偶有からの哲学(アクシデントからの哲学)
- タイトル
- サブタイトル
- 技術と記憶と意識の話
- 著者・編者・訳者
- ベルナール・スティグレール著
- 浅井幸夫訳
- 発行年月日
- 2009年 12月 10日
- 定価
- 2,420円
- ISBN
- ISBN978-4-7948-0817-2
- 判型
- 四六判上製
- 頁数
- 196ページ
著者・編者・訳者紹介
著者-Bernard STIEGLER(ベルナール・スティグレール)-
1952年生まれ。
主著『技術と時間』(全5巻、既刊3巻/邦訳=第1巻・法政大学出版局)ほか数多くの著作を刊行する一方、文化産業が支配する現代社会を問題化する国際的運動組織ARS INDUSTRIALISを立ち上げ、精力的に活動中。
1952年生まれ。
主著『技術と時間』(全5巻、既刊3巻/邦訳=第1巻・法政大学出版局)ほか数多くの著作を刊行する一方、文化産業が支配する現代社会を問題化する国際的運動組織ARS INDUSTRIALISを立ち上げ、精力的に活動中。
内 容
スティグレールはその独自の思想をいかに構築したのか。彼の最初の研究テーマは、プラトンのアナムネーシス(想起)だった。プラトンにおいて、人間は前世で観照したイデア=本質の記憶を自らの内に宿しており、それを想起することが何かを「知る」ことに他ならない。これに対して、スティグレールはプラトンの『メノン』の精読を通じて、プラトンが退けるヒュポムネーシス(文字や図等、外在する人工的な記憶)こそが、アナムネーシスの前提であることを導き出す。この指摘に含まれる外在性=偶有性の問題の射程は広い。人類は個体の記憶(経験)と種の記憶(遺伝)に加えて第三の記憶、つまりモノの形をとった個体の経験の蓄積である文化を持つ。後成的でありかつ、子孫に伝えられるという意味で種レベルのプロセスでもある「後成的系統発生」が、「ヒト」を「人類」たらしめ、その独自の歩みを支えてきた。何か(有形無形を問わず)を作る術=技術は人類史上欠かせない要素なのだが、哲学は一貫してその重要性を等閑視し否認してきたのである。
ところが産業革命を経て産業がヘゲモニーを握って以降、記憶をめぐって新たな状況が生じる。蓄音機と映画は過去の正確な再現を可能にするが、一方で、同じ音楽や映像(時間の流れと共にのみ存在する時間的対象)が大規模に流布することにより、人々の意識が同じ時間を生きる「シンクロニゼーション」の傾向が生まれる。いまや文化産業は、人間の「意識の時間」を開発=搾取の対象とする。また、種の記憶たる遺伝子に対する操作も考え合わせれば、現代ではあらゆる意味での記憶が、各種産業にとっての原材料となりうるのだ。この状況において、哲学は、科学は、産業は、そして市民は何を考えるべきか…。今最も注目される哲学者の一人スティグレールが縦横に語る。
(訳者 浅井 幸夫)
ところが産業革命を経て産業がヘゲモニーを握って以降、記憶をめぐって新たな状況が生じる。蓄音機と映画は過去の正確な再現を可能にするが、一方で、同じ音楽や映像(時間の流れと共にのみ存在する時間的対象)が大規模に流布することにより、人々の意識が同じ時間を生きる「シンクロニゼーション」の傾向が生まれる。いまや文化産業は、人間の「意識の時間」を開発=搾取の対象とする。また、種の記憶たる遺伝子に対する操作も考え合わせれば、現代ではあらゆる意味での記憶が、各種産業にとっての原材料となりうるのだ。この状況において、哲学は、科学は、産業は、そして市民は何を考えるべきか…。今最も注目される哲学者の一人スティグレールが縦横に語る。
(訳者 浅井 幸夫)