この地球上では、数え切れないほどの人々が不自由で過酷な暮らしを強いられている。紛争やテロ、悪政など、人為的な要因によるケースもあれば、自然災害に起因する場合もある。そしてこれらの要因は、必ずと言ってよいほど貧困をもたらしている。筆者は、そうした戦争・紛争、自然災害の被災地などで、人々がどのような苦難に直面しているかを、写真を通じて多くの人に知らせることを仕事としている。
2001年9月11日、ニューヨークは地獄絵の様相を呈した。そのとき筆者は、市内にある出版社に勤めていた。それゆえ、その現場をカメラに収めることができた。そして翌月、タリバン政権が国際的なテロ組織アルカイダを匿っているとして、アメリカ軍はアフガニスタン攻撃を開始する。タリバン政権は崩壊したものの、長く続いた紛争や干ばつが影響し、アフガニスタンの貧困はアジア最悪の水準まで落ち込んだ。筆者が初めてアフガンに入国したのは、カブールが陥落した数か月後のことである。そこで見た現状とは……。
また2010年、アメリカ大陸最貧国のハイチでは、未曾有の大地震によって多くの人々の命が失われた。行政がほとんど機能しなかったために20万人以上もの人が亡くなったのである。そこで目の当たりにした震災の現場とは……。
2011年の東日本大震災の際も、直後に現地に赴いて写真を撮った。こうして、日本人が普段考えている「豊かさ」とは遠くかけ離れた生活を送る人々の姿に触れながら、フォトジャーナリストとして一体何ができるのか、フォトジャーナリストの使命とは何かを日々探究し続けている。
しかし、こちらの生活も決して豊かなものではなく、悩みは尽きない。「地を這う」仕事をめぐる葛藤も含め、自分をさらけ出しながら、「フォトジャーナリストという仕事」について綴ってみたのが本書である。さまざまなメディアで日常的に目にする報道写真がどのようにして撮られているのか、またその裏側に何が潜んでいるのかを、本書を通して考えていただければ幸いである。
まえがき
インターネットの普及につれて、自分の作品などを自由に表現する機会が大きく広がった。記者でも芸術家でもない普通の人々が、ブログやツイッター、フェイスブックなどといったSNS(Social Networking Service)に、自らの体験を文章や写真、動画を利用して公開している。お気に入りのレストランで食べた料理を写真で紹介したり、観た映画を解説したり、旅先で出会った現地の人々との交流を載せたりと、内容はさまざまである。なかには、自らの考えや社会分析、アイデアを現代社会への警鐘として発表しているブログもある。これらの声が政治家や官僚、権力者などの耳に届くとしたら、SNSの潜在能力は計り知れないものとなるだろう。
しかし、怖いと感じる面もある。これらの情報を目にした受け手側が、信憑性を疑うこともなく本物の情報を得たかのように勘違いしたり、またそれらの情報を他者と共有することもあろう。たとえば、料理のことをまったく知らない人気ブロガーがネット上であるレストランの料理を批判したとする。その情報が、あっという間にネット上において拡散してしまうことがある。たった一人の素人の評価が、その店の評判を落としかねないというのも事実である。
もし、このような情報が個人を批判するような内容や痛烈な社会批判であり、その情報を鵜呑みにした人々がいたとしたら、彼らはどのような行動に出るだろうか……想像するだけで恐ろしい。言うまでもないことだが、ブログを載せる側は確かな情報を手に入れる努力を怠ることなく、すべての責任を負うだけの気構えで伝えなければならない。
もっとも、それらのブログをマスコミが面白おかしく取り上げているという状況にも問題がある。事実、素人が書いたこれらの軽い調子のSNSが本になって売れているようだし、書店に行けばブログ本のコーナーまであるほどだ。それらの本のプロフィール欄を見てみると、作家、写真家、料理家、なんでもござれである。今の世の中、こんな形でプロフェッショナルになることもできるらしい。
写真業界を見てみると、この10年ほどでフィルムからデジタルの世界へと革新的な変化を遂げた。ひと昔前、フィルムの時代は胃が痛くなるような思いをして写真を撮っていた。何しろ、現像して画像がフィルムに浮き上がり、印画紙に対象物を焼き付けるまではきちんと撮れているかどうかが分からない。期待してプリントを待っているのだが、とんでもない失敗作があがってきて落ち込んだという経験は数知れない。
フィルムの交換を急ぐあまり、巻き上げ途中に思わずカメラの裏蓋を開けてしまって感光(フィルムに光が当たり真黒になってしまうこと)させたことも幾度となくある。出版社に勤めていたころ、ぼくの失敗作を見た先輩から、「気にするな。期待していなかったから」と、慰めだかお叱りだか分からないひと言をもらったことも覚えている。いやはや、厳しいひと言だった。たしかに、フィルムカメラは操作が煩雑で、失敗が本当に多かったわけだが、それだけに学ぶものも多かった。
デジタルカメラの到来でこれらの失敗がなくなった。と同時に、カメラが身近なものになった。フィルム時代、カメラはお金と時間に多少の余裕のある、主におじさま方の趣味だったような気がする。それがアマチュア用の廉価なデジタルカメラやカメラ付きスマートフォンの普及にともなって写真が生活の一部になった。それに、暗室を用意して引き伸ばし機をセットし、現像液や定着液、水を用意して何時間もかけて印刷する必要もないから、写真技術は専門学校や写真事務所で学ばなくても簡単に取得できるものとなった。
「写真が好きだから、わたしフォトグラファーになる!」と宣言し、デジタルカメラとコンピュータを用意すればすぐにはじめられる。書店で「猿でも撮れる撮影術」といったハウツー本でも買って、熟読すればよいわけだ。現像や印刷のコストも必要ないから、懐具合を気にしないで好きなだけ撮影ができるし、画像を液晶で確認できるから、試行錯誤を重ねることも十分に可能である。
もちろん、本格的に写真を生業にする場合でも、多少のお金はかかるが、必要な機材はいくらでも売っているので、職種を書いた名刺さえつくればプロフォトグラファーの出来上がりとなる。日々ブログでも書いて写真を掲載し、それが運よく書籍化されれば立派な写真家先生にもなれてしまう。
そんな写真業界だから、フォトグラファーは飽和状態にあると言えるかもしれない。失敗をして先輩に怒鳴られ、暗い部屋で薬品まみれにならないでも簡単にフォトグラファーになれる時代がやって来たのだ。東京の人混みで石を投げたら、フォトグラファーにあたるという時代かもしれない。
先日、戦場に行ったこともないのに「自分は戦場カメラマンです」と名乗る二十代前半の若者に出会った。バックパッカーとして世界中を旅してきた彼は、同じような経歴をもつ戦場カメラマンの渡部陽一さんにでも憧れたのだろうか。最近、戦争を伝えるフォトジャーナリストになった(なることを決めた?)彼であるが、残念ながら、レンズの特性やカメラの操作方法を知らなかった。機械のことなら専門書を読んで猛勉強をすればよいが、フォトジャーナリストとしての心構えはいったいどこにあるのだろうか。
ぼくは戦場カメラマンではない。だから、戦場について熱く語る必要もないし、そもそもできない。それでも、写真に命をかけている。ニュータリバン勢力が台頭しつつあるなか、アフガンとパキスタンの国境地帯であるトライバルエリア(Federally Administered Tribal Areas・連邦直轄部族地域)へ麻薬と密造銃の取材に出掛けたときは、出会った人すべてに「外国人は誘拐されるから絶対に行くな!」と止められたが、引き返すことができなかった。
また、ミャンマー軍事政権の妻たちが経営していると言われる娼婦パブに潜入取材を試みたときは、撮影禁止なのは重々承知だが、店長に賄賂をわたしてかろうじて撮影を成功させている。撮影後、店の従業員に見つかり、別室に連行されて尋問を受けたときは小便をちびるほどの恐怖を感じたが、店長が「今回だけは許してやる」と芝居を打ってくれたおかげで無事に解放された。
フォトジャーナリストとしての心構えがないだけでなく、事前の準備もせずに、「現地の写真を撮って、ブログに掲載して有名になろう」という軽い気持ちで現場に出掛けるのだけは避けなければならない。それに、そんな軽薄な気持ちであるならフォトジャーナリストにはならないほうがよい。
ライバルが増え、仕事が減って生活が苦しくなるのは困る……なんて器の小さい理由もあるが、そんな軽い気持ちで写真を撮るというのは被写体となる人々に対して失礼だし、写真を見てくれる人々にだって現実の状況を知らせることはできない。かえって現場を混乱させ、間違った情報を伝えることにもなりかねないのだ。これでは、独断と偏見で料理を分析し、ネットにアップするブロガーと同じである。
この業界、軽い気持ちでやっていけるほど楽ではないし、どちらかというと命がけである。情けない話だが、ぼくは文章を書くのが下手で、写真だってまだまだ修行が必要だから、ほかの人が開催している写真展を観に行けば、その人の技術や感性に実力の差を思い知らされて打ちのめされてばかりいる。そのうえ、知識量も少なければ高尚な思想だってもちあわせていないので、日々いい写真を観て技術を学びながら感性を磨き、さまざまなジャンルの本をたくさん読んで他国の文化や伝統などを身に付ける努力だけは怠っていない。
情熱をかけて取り組めば、自らへの見返りなんて忘れることができる。人々の心を震撼させる写真を撮るためには、血尿を出すほど必死にもがき、時には大切なものを犠牲にするほど一途にこの世界に没頭するしかない。それができて初めて、本当のプロの仕事ができるのだと思っている。
さて、これから書き記すことは、曲がりなりにもプロのフォトジャーナリストとして仕事をしてきたぼくの記録である。「よくまあ、そんな所に行くねー」と呆れられるかもしれない。しかし、世界各地で起きていることの「真実」を伝える、それがぼくの仕事だと思っている。それに、リアリティのある文章表現にも可能なかぎり努力したつもりである。ぜひ、今回記すことになった「真実」を五感を通して感じていただきたい。
もくじ
まえがき i
プロローグ 地を這うように 3
割に合わない取材の対価 5
講演会で青春大暴走? 10
フリーランスの悲哀 13
カメラ機材は命と対等? 15
仕事は選らんでられん 17
第1章 紛争と地雷 22
1 戦乱のアフガニスタンを歩く 22
無法地帯「トライバルエリア」からカブールへ 22
崩壊した街カブール 30
過酷な長距離移動でバーミヤン渓谷へ 32
2 ベオグラードで見た夢 40
激動のユーゴスラビア 41
国境を越えてユーゴスラビアへ 43
東欧には美人が多い? 45
傷跡の残るベオグラード 46
お調子者の日本人が一人 49
小さな贈り物 53
3 再訪、地雷大国アフガニスタン 55
またまた陸路で国境越え 56
変貌を遂げていたカブール 59
地雷と隣り合わせ――訓練生の暮らし 62
危険をともなう地雷除去 65
再訪バーミヤン 69
4 ジャングルの地雷原 73
バッタンバン州にある地雷の村へ 74
野生の生き物に囲まれて 78
恐怖の地雷原 80
カンボジアの内戦 85
素顔は可愛い女の子 87
第2章 震災 91
1 最貧国ハイチを襲った巨大地震 92
数世紀にわたる混迷 95
死者30万人の大地震 96
海外取材の心得 102
日常に溶け込む兵士たち 107
2 東北大震災で流した涙(前編) 113
東北で気付いた自分の甘さ 114
変わり果てた街並み 117
過酷な避難生活 121
避難所での出会い 123
3 東北大震災で流した涙(後編) 128
ぼくが背負ったカルマ 130
ストレス解消はお酒? 133
諸刃の剣となり得るメディア 134
零戦乗りのおじいさん 137
4 トルコ大地震と、ある日本人の記録 143
宿泊先のホテルは大丈夫か 146
テント暮らしで冬を迎える被災者 148
国家をもたないクルド民族 150
2011年、大晦日の仕事 152
日本とトルコの厚き友情 155
宮崎さんが残したもの 157
第3章 国際政治・社会 161
1 人生観を変えた衝撃の9・11 162
旅客機がビルに突っ込んだ! 163
新人が重大記事を配信 165
人の道をとるか、写真をとるか 167
真夜中のマンハッタン 169
ワートレを激写 175
その後の世界 177
2 人生最悪の日――ニューヨーク市警に逮捕される 178
あっという間の逮捕 180
鉄格子の中で家畜扱い 185
塀の中のお友達 187
人生初の法廷 189
3 理想国家キューバの現実 192
国営クバーナ航空の洗礼 193
社会主義と資本主義 196
長距離バスに飛び乗って 200
恐るべしハバナのバー 208
二重通貨制度とその落とし穴 210
4 砂漠化する地球 216
砂漠のホテル「アイベク」 219
縮んでいく湖 221
20世紀最大の環境破壊 225
拳銃を乱射する不審者? 227
あとがき 233