菜食への問いから始まる知的冒険。食生活の次元から日常‐非日常を見つめ直し、倫理にかなった生の姿を探求する。
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菜食への問いから始まる知的冒険。食生活の次元から日常‐非日常を見つめ直し、倫理にかなった生の姿を探求する。
- 関連ワード
- 菜食への疑問に答える13章
- タイトル
- サブタイトル
- 生き方が変わる、生き方を変える
- 著者・編者・訳者
- シェリー・F・コーブ著/井上太一訳
- 発行年月日
- 2017年 4月 12日
- 定価
- 2,750円
- ISBN
- ISBN978-4-7948-1058-8 C0036
- 判型
- 四六判並製
- 頁数
- 328ページ
著者・編者・訳者紹介
著者紹介-Sherry F. COLB(シェリー・F・コーブ)-
コーネル大学法学院教授。動物の権利、証拠法、刑事訴訟法などを担当。
コロンビア大学、ハーバード大学法学院を卒業し、最高裁判事ハリー・A・ブラックマンの助手を務める。
著書に『性が問題になる時─子どもをつくる、法律をつくる』がある。
コーネル大学法学院教授。動物の権利、証拠法、刑事訴訟法などを担当。
コロンビア大学、ハーバード大学法学院を卒業し、最高裁判事ハリー・A・ブラックマンの助手を務める。
著書に『性が問題になる時─子どもをつくる、法律をつくる』がある。
内容
「植物なら食べてもいいの?」「食の楽しみは?」「動物も他の動物を食べるけど?」――菜食という習慣には多くの疑問が寄せられる。けれどもそれに対する回答をしっかり聞いたことのある人は、おそらくそれほどいないのではなかろうか。
実は、非菜食の人が発するこうした何気ない問いは、倫理にかなった生き方を考える上で、とても大事な問題提起になる。菜食を志す人の中には、健康を気にしてこの生活スタイルを選ぶ立場の他に、動物への思いやりからそうするという立場がある。後者の人々は、動物製品の消費が動物への暴力を後押しすることに気付いて、肉・乳・卵その他を生活の場から一掃しようと考える。かれらは動物をいたわる思いを突き詰めた結果、菜食という選択に行き着いた次第で、その根底には倫理的関心がある。動物製品の消費を当たり前の習慣として受け入れている私たちは、そんな思考を不思議に、奇妙に、時には偽善的にさえ感じ、色々な質問をしてみたい気になる。倫理観にもとづいて行動を変えようと決心した人と、それに首をかしげて問いを発する人、両者が論を交わせば、人の正しい生き方をめぐる有益な対話が生まれうる。
本書は菜食の実践者に寄せられる典型的な質問群を取り上げ、人の自然な感覚や良心にもとづく回答を示すことで、菜食への理解を促すと同時に、それを出発点とした倫理的な生のあり方を探求する。人間が他の動物を食べるのは正当なのか不当なのか。筋の通った暮らしとはどんなものなのか。菜食問答は食の次元から私たちの日常を問い直し、人ならぬ生命をも視野に入れた新しい道徳の地平を切りひらく。本書が人と他の動物にとってよりよい社会をつくる一助になれば幸いである。
(いのうえ・たいち 翻訳家)
実は、非菜食の人が発するこうした何気ない問いは、倫理にかなった生き方を考える上で、とても大事な問題提起になる。菜食を志す人の中には、健康を気にしてこの生活スタイルを選ぶ立場の他に、動物への思いやりからそうするという立場がある。後者の人々は、動物製品の消費が動物への暴力を後押しすることに気付いて、肉・乳・卵その他を生活の場から一掃しようと考える。かれらは動物をいたわる思いを突き詰めた結果、菜食という選択に行き着いた次第で、その根底には倫理的関心がある。動物製品の消費を当たり前の習慣として受け入れている私たちは、そんな思考を不思議に、奇妙に、時には偽善的にさえ感じ、色々な質問をしてみたい気になる。倫理観にもとづいて行動を変えようと決心した人と、それに首をかしげて問いを発する人、両者が論を交わせば、人の正しい生き方をめぐる有益な対話が生まれうる。
本書は菜食の実践者に寄せられる典型的な質問群を取り上げ、人の自然な感覚や良心にもとづく回答を示すことで、菜食への理解を促すと同時に、それを出発点とした倫理的な生のあり方を探求する。人間が他の動物を食べるのは正当なのか不当なのか。筋の通った暮らしとはどんなものなのか。菜食問答は食の次元から私たちの日常を問い直し、人ならぬ生命をも視野に入れた新しい道徳の地平を切りひらく。本書が人と他の動物にとってよりよい社会をつくる一助になれば幸いである。
(いのうえ・たいち 翻訳家)