高島善哉 研究者への軌跡
激動の昭和を生きた社会科学者の生涯と思想的道程を詳細に辿り、人間・高島善哉の実像に迫る決定版評伝
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- 関連ワード
- 高島善哉 研究者への軌跡
- タイトル
- サブタイトル
- 孤独ではあるが孤立ではない
- 著者・編者・訳者
- 上岡修著
- 発行年月日
- 2010年 3月 15日
- 定価
- 2,750円
- ISBN
- ISBN978-4-7948-0830-1
- 判型
- 四六判上製
- 頁数
- 276ページ
著者・編者・訳者紹介
著者-上岡修著(かみおか・おさむ)
1946年生まれ。
成城大学経済学部卒、関東学院大学大学院経済学研究科修士課程修了。
2007年都立高校教諭を退職後、現在は都立雪谷高校再任用主任教諭。
「日本子どもを守る会」理事。
1978年春から89年末まで高島善哉の私設助手を務めた。
1946年生まれ。
成城大学経済学部卒、関東学院大学大学院経済学研究科修士課程修了。
2007年都立高校教諭を退職後、現在は都立雪谷高校再任用主任教諭。
「日本子どもを守る会」理事。
1978年春から89年末まで高島善哉の私設助手を務めた。
内 容
激動の昭和を生きた社会科学者・高島善哉は中途失明者であった。大正末から昭和を通して視力がどんどん衰えていくなかで、彼はどのような道程を辿って社会科学者としての研鑽を積んでいったのか。彼の生涯をなぞりながらそれを詳細に読み解こうと試みたのが本書である。本書の成り立ちの根底には、没後20年を経てなお人間・高島善哉を敬愛して止まない弟子たちや元東京商科大学予科生たちの、「社会科学者・教育者 高島善哉の存在を風化させてはならない」という強い思いがある。
高島は明治末に岐阜の木曽川沿いの集落に生まれた。1990年、平成の声を聞いてまもなく亡くなるまで、壮老年期の大半を完全失明者として生き抜いた。その間も精力的に研究、執筆、教育活動を続けていた。素封家の長男という恵まれた環境で育ったがゆえに、地主の息子という立場を自覚することもなく、幼少期は米俵の上で遊び、中学二年のときに起きた米騒動の意味を知ろうともしなかった。「社会科学の社の字も知らなかった」ほどの世間知らずだったのである。やがて長じて、たまたま東京商科大学予科を受験し、たまたま経済学を選んだ。そのような人間が、いかにして「日本の民主化と人間の自立と市民精神」を考え、「日本の社会科学の樹立」を願い、主張し続けるまでに至ったのか。本書ではその思想的道程だけでなく、哲学や文学、音楽や芝居に感動し、ダジャレ好きな一面もあった人柄や、太平洋戦争下での学生への熱い思いから如実に分かる心の優しさなど、人間性あふれる高島善哉の実像を明らかにするよう努めた。
思想的な大転換、失明、大学での地位など、決して順風満帆とは言えなかった学究生活は想像を絶するものがある。その「孤独ではあったが孤立ではなかった」軌跡から、社会科学とは何か、そして学問研究を志すことの意味を抽出していただければと願う。
(著者 上岡 修)
高島は明治末に岐阜の木曽川沿いの集落に生まれた。1990年、平成の声を聞いてまもなく亡くなるまで、壮老年期の大半を完全失明者として生き抜いた。その間も精力的に研究、執筆、教育活動を続けていた。素封家の長男という恵まれた環境で育ったがゆえに、地主の息子という立場を自覚することもなく、幼少期は米俵の上で遊び、中学二年のときに起きた米騒動の意味を知ろうともしなかった。「社会科学の社の字も知らなかった」ほどの世間知らずだったのである。やがて長じて、たまたま東京商科大学予科を受験し、たまたま経済学を選んだ。そのような人間が、いかにして「日本の民主化と人間の自立と市民精神」を考え、「日本の社会科学の樹立」を願い、主張し続けるまでに至ったのか。本書ではその思想的道程だけでなく、哲学や文学、音楽や芝居に感動し、ダジャレ好きな一面もあった人柄や、太平洋戦争下での学生への熱い思いから如実に分かる心の優しさなど、人間性あふれる高島善哉の実像を明らかにするよう努めた。
思想的な大転換、失明、大学での地位など、決して順風満帆とは言えなかった学究生活は想像を絶するものがある。その「孤独ではあったが孤立ではなかった」軌跡から、社会科学とは何か、そして学問研究を志すことの意味を抽出していただければと願う。
(著者 上岡 修)