ハムレットの大学
大学という「行く河」、そこで紡がれる人文学の歴史と未来を「3.11/フクシマ以後」の視座から編み直す柔靱な思考の集成。
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- 関連ワード
- ハムレットの大学
- タイトル
- 著者・編者・訳者
- 岡山茂著
- 発行年月日
- 2014年 6月 5日
- 定価
- 2,860円
- ISBN
- ISBN978-4-7948-0964-3
- 判型
- 四六判上製
- 頁数
- 304ページ
著者・編者・訳者紹介
著者-岡山茂(おかやま・しげる)-
1953年生まれ。
早稲田大学政治経済学部教授、アレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)事務局長。
専攻はフランス文学。
共著『大学界改造要綱』(アレゼール日本編、藤原書店)、共訳書C. シャルル、J. ヴェルジェ『大学の歴史』(白水社)など。
1953年生まれ。
早稲田大学政治経済学部教授、アレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)事務局長。
専攻はフランス文学。
共著『大学界改造要綱』(アレゼール日本編、藤原書店)、共訳書C. シャルル、J. ヴェルジェ『大学の歴史』(白水社)など。
内 容
大学は800年前の水源に発して今も流れる河のようなものだ。そのなかで教員はつねに若返る学生を眺めながら老いてゆく。教員が教えたいと思うことは、学生が学びたいことであるとは限らない。教える者と学ぶ者はどのように出会うのか、あるいは出会い損ねるのかという問いは、さらに歴史を遡らねばならない永遠の問いだろう。ソクラテスによるソフィスト批判、キリストとその弟子たちの対話は、ボローニャ大学を創った学生たちの要求、ベルリン大学の教授たちの「学問の自由」をめぐる議論、1960年代末に起きた「五月革命」へとつながっている。もちろん「河」を流れる水にすぎない教員や学生には、水かさの増した河の護岸工事や、その流れを変えるような土木作業はできない。それは官僚や政治家など、すでに「陸」に上がった人たちに任せるべき仕事だ。しかしそういう「大人たち」への信頼は、フクシマ以後の日本において失われてしまっている。今や学長ばかりでなく、教員や職員や学生でさえ、自らがそのなかにいる大学について、その社会や国家との関係について、根源的な反省を強いられている。ところでそういう大学人にも、つねに生まれ変わりながら流れる大学という「行く河」の、3.11以後という岸辺に立ち、そこに生える「葦」となって「河」の来し方・行く末を想うぐらいのことはできるのである。パスカルやシェークスピアの昔から、それはむしろ人間としての本分であった。われわれは「考える葦」のように、あるいは一人のハムレットのようにこの地上に在る。人文学と大学をめぐるこの書物も、「地上にいる自分を、限りなく、単純なものとして、知覚する」というマラルメ的な欲望から生まれている。フクシマ以後を生きるにあたって、この欲望ほど切実なものもないのである。
(著者 岡山 茂)
もちろん河を流れる水にすぎない教員や学生には、水かさの増した河の護岸工事や、流れそのものを変えるような土木作業はできない。しかしそれは官僚や政治家など、すでに「陸」に上がった人たちに任せておける仕事でもない。とりわけフクシマ以後、大学の学長ばかりでなく教員や職員や学生でさえも、自らがそのなかにいる大学について根源的な反省を迫られている。大学が社会に新たな知性をもたらしうるかどうかを、自分たちで考えねばならないところにまで追い詰められている。ところでそういう大学人にも、つねに生まれ変わりながら流れる大学という「行く河」の、3.11以後という岸辺に立ち、そこに生える「葦」となって「河」の来し方・行く末を想うぐらいのことはできる。というより、パスカルやシェークスピアの昔から、「考える葦」のように、あるいは一人のハムレットのようにこの地上に在るということは、むしろ人間としての本分なのである。
フランスの詩人マラルメが見た19世紀末のオックスフォード大学やケンブリッジ大学には、中世以来の美しいキャンパスが保たれていた。フェローたちがそこを悠然と歩くのを眺めながら、詩人は、イギリスにはフランスとは違う「社会的寛容」、あるいは「攪乱されることのない伝統的な土地」があると思った。彼の母国は大革命のときにすべての大学を廃止してしまったからである。
フランスはその後、ヨーロッパの「大地」をも踏み荒らしてしまうだろう。プロイセンはナポレオンへの抵抗のなかでベルリン大学を創設し、近代国家としてのドイツの礎とした。普仏戦争に敗北したフランスは、19世紀末にドイツにならって「近代」の大学を復活させるが、第一次世界大戦で再びドイツと戦い、塹壕戦の泥沼で無数の人間を死なせてしまう。両国に欠けていたのは、まさにマラルメがイギリスに見出した「社会的寛容」の精神かもしれない。
しかしそのイギリスにおいてさえ、サッチャーによる大学改革(1979年)でそのような精神はすっかり失われてしまった。イギリスのかつての伝統を引きつぐアメリカの有名私立大学やリベラルアーツ・カレッジ(全寮制少人数教育の学士課程のみをもつ大学)にしても、その豊かな環境は、高い学費と寄付(たしかに寛大なものかもしれない)によって支えられているにすぎない。2011年秋にウォール街を占拠した群衆は、アメリカでは1%の富裕層が99%の民衆を支配していると叫んでいる。世界のいたるところで「怒れる者たち」の反乱が起きているが、この「怒り」は端的に、大学が「禁域」として一握りのエリートに独占されていることへの拒否なのである。
かつて日本には、大学がすべての人に開かれると思われた時代があった。すべての県に国立大学がおかれ、帝国大学や私立大学も含めて「新制大学」として一元化されたときである。旧制高校から帝国大学へと進んだ者にのみ許されていた特権が、すべての学生にある程度まで許されるようになると人々は信じた。自分の子どもを大学に入れることが、焼け跡から立ち上がろうとしていた民衆にとっての希望となり、それがこの国の「奇蹟の復興」を支えた。しかし大学の大衆化が進むなか、東西冷戦のせいで戦前のイデオロギーが復活する。大学もまたそのなかで反動化する。旧帝大系の支配的な地位は入試という制度によって再び揺るぎないものとなり、私立大学も学費が少しずつ高くなることで民衆から遠いものとなってしまう。歴代の政府は無償の高等教育を国民に保障する代わりに、新幹線、高速道路、そして原発の建設を優先したのである。
小泉純一郎元首相(2001年〜2006年)のもとでの遠山敦子文部科学相による「聖域なき改革」は、民衆にとってさらに「不寛容」なものとなった。それは「禁域」としての大学をすべての人に開放するどころか、戦後の民衆の夢を幻想として切り捨てるような改革でしかなかった。すべての大学が「競争的環境」に投げ込まれ、予算が削減されるなかで「生き残り」を賭けた改革が迫られ、教育環境はむしろほとんどの大学で劣化した。校舎はきれいになったが教員が減らされ、第二外国語を学べないような大学や学部はいまではざらである。
それではどうして日本の若者は静かなのだろうか。「就活」はほとんど屈辱でしかないし、福島第一原発の事故による放射能汚染の影響は彼らの世代にもっとも深刻である。彼らはそれでも「社会的寛容」を失わない世界でもまれな若者なのだろうか。それとも親の世代の大学への夢が、いまでも彼らのなかに眠っているのだろうか。おそらく彼らは知っているのだ。国が不寛容なら民衆は啓蒙されてあらねばならないということを。原発事故とその後の対応で、エリートや専門家への信頼が根底から揺らぎ、そのために大学への信憑さえ薄らいでしまったいま、彼らはだまされないくらいには啓蒙されている。そうでないのは、命令されたり専門家の意見を聞いたりしないと何もできない大人たち、そしてネオリベラリズムに犯され、経営のことしか考えられなくなってしまった学長たちである。
すでにEU(欧州連合)には「ヨーロッパ高等教育圏」なるものができている。しかしそこには大学の理念をめぐる不一致があり、それは簡単には乗り越えられないとクリストフ・シャルル(パリ第1大学、歴史学)は述べている。もとよりアメリカの連邦政府のような権限はEUにないし、その各国には日本や中国や韓国やインドがもつような科学・テクノロジー開発への自発性が欠けている。またポール・ヴァレリー(マラルメの若い友人でもあった)がアメリカや日本の台頭をまえに「ヨーロッパ」を意識したように、「ヨーロッパ高等教育圏」も「グローバリゼーション」のなかでアメリカや日本(とりわけその科学技術開発への投資の脅威)に対抗するために創られたものだった。そこにはグランド・ゼコール(フランス独自の高等教育機関)の存在をヨーロッパ全域で認めさせようとするフランスの、ナポレオン的な意志さえ見え隠れする。
ジャック・デリダによれば、ヨーロッパとはユーラシアから突き出た「キャップ」(「岬」あるいは「頭」)である。そこにおいて「キャピタリズム(資本主義)」も培われた。しかし蒸気機関を動かすための燃料(木材、石炭、石油)をめぐる利権争いは、帝国主義的な対立と戦争をもたらし、二度目の世界大戦では核兵器も使われた。そしてその後に原子力発電が始まり、チェルノブイリとフクシマという「ヨーロッパ」の東の辺境でカタストロフが起こった。いまやテクノロジーは人類を生かしも殺しもする第二の自然となっている。
ヨーロッパはEUを構成することでユーラシアから自らを切り離した。しかし「キャプテン」を欠いたまま大洋へと出たこの船は、その舳先(キャップ)をどちらに向けてよいのかわからない(国王と王妃をギロチンで処刑した後の19世紀のフランスのように、その混乱は今後もしばらく続くのだろう)。いま大学は、こうして漂流を始めた「ヨーロッパ」あるいは「グローバル化」された世界のいたるところで、イマジネールな「首都」(ラ・キャピタル)として機能しなければならない「頭」(キャップ)である。「脱亜入欧」をめざした日本や、もともとユーラシアから離れたところに「帝国」を築いたイギリスやアメリカも、その船に「すでに乗船している」(パスカル)ことにおいて変わりはない。ヨーロッパにおいて誕生し、その形成に関わったがゆえに、大学は、「資本」(ル・キャピタル)との共犯を問われ、それを断ち切るように求められている「身体」なのである。
マラルメの描くエロディアードは、洗礼者ヨハネの断頭を命じ、その首との「結婚」によって地上に救世主をもたらす王女であった。またシェークスピアの描くハムレットは、真理と正義をひたすら追求することで、クローディアスのような邪な王の支配から民衆を救う王子であった。彼らには護ってくれるような親はいなかった。いまや「法人」として教会や国家の庇護のもとから離れた大学も、「資本」や「首都」との関わりにおいて、この王女や王子のような存在であらねばならないのではないのか。そしてそこに生きる学生や教員も、一人ひとりが鏡をまえにしたエロディアード、あるいは「自分という書物を読みながら歩くハムレット」(マラルメ)ではないのか。王女や王子にはもとより就職の心配はない。彼らは「エリート」でもないし「人的資本」でもない。地上にあって民衆とともに/のために闘う、一つの自律した魂である。
洗礼者ヨハネは断頭されることを自ら望み、その首から流れる血でエロディアードを懐胎させた。エロディアードによって捨てられたその首は、地平線の向こうに落日を光背にして沈んでゆく。教える者と学ぶ者の「婚姻」も、おそらくはそのようにして成就するのだろう。夜空には昇天した知が星となって輝いている。人文学はそのなかでも中心にあるべき星座だ。なぜならそれは近代科学の成立以前からそこに輝いているし、地上における人類の生存も、「新たなユマニテ(人類=人文学)」の生成のための、その脱構築にかかっているからである。
第一部 イマジネールな知の行方
エロディアードの大学―マラルメとデリダによる 12
リクルートスーツのハムレットたちへ 33
ハムレットの大学 58
大学蜂起論―リオタールとデリダによる 76
第二部 アレゼールによる大学論
アレゼールの目指すもの―フランスの大学改革におけるその立場 102
学長たちの惑星的思考―大学改革の日仏比較 123
ボローニャ・プロセスと『大学の歴史』―アレゼールからの批判と提言 136
世界同時大学危機とアレゼール 153
フクシマ以後の大学 169
「国立大学法人化」前後のアレゼール日本の言葉から 180
マニフェスト 2003.4東京 180
私立大学の「危機」 182
「大学教員の採用、真の公募制のために!」 185
大学での第二外国語をどうするのか 187
大学を覆うモラルハザード―公共性を危うくする「経営」先行 189
どうして日本の大学ではストが起きないか 191
第三部 世界という書物
表象、ジャーナリズム、書物 206
書物逍遙(2004〜2013年 書評) 214
書物という爆弾―1890年代、ドレフュス派としてのマラルメ 233
マラルメによる都市の戴冠、『ディヴァガシオン』を読む 262
おわりに―ブルデュー『国家について』の余白に 291
初出一覧 301
(著者 岡山 茂)
はじめに―フクシマ以後の人文学
大学は800年前の水源から発していまも流れる「河」のようなものだ。その河のなかで教員はつねに若返る学生を眺めながら老いてゆく。教員が教えたいと思うことは、学生が学びたいことであるとは限らない。教える者と学ぶ者はどのように出会うのか、あるいは出会い損ねるのかという問いは、さらに古くからある問いだろう。ソクラテスによるソフィスト批判、キリストとその弟子たちの対話などを想ってみればよい。そしてそれらは、ボローニャ大学を創った学生たちの要求、ベルリン大学の教授たちの「学問の自由」をめぐる議論、1960年代末に起きた大学騒乱などへと、途切れることなく続いている。もちろん河を流れる水にすぎない教員や学生には、水かさの増した河の護岸工事や、流れそのものを変えるような土木作業はできない。しかしそれは官僚や政治家など、すでに「陸」に上がった人たちに任せておける仕事でもない。とりわけフクシマ以後、大学の学長ばかりでなく教員や職員や学生でさえも、自らがそのなかにいる大学について根源的な反省を迫られている。大学が社会に新たな知性をもたらしうるかどうかを、自分たちで考えねばならないところにまで追い詰められている。ところでそういう大学人にも、つねに生まれ変わりながら流れる大学という「行く河」の、3.11以後という岸辺に立ち、そこに生える「葦」となって「河」の来し方・行く末を想うぐらいのことはできる。というより、パスカルやシェークスピアの昔から、「考える葦」のように、あるいは一人のハムレットのようにこの地上に在るということは、むしろ人間としての本分なのである。
フランスの詩人マラルメが見た19世紀末のオックスフォード大学やケンブリッジ大学には、中世以来の美しいキャンパスが保たれていた。フェローたちがそこを悠然と歩くのを眺めながら、詩人は、イギリスにはフランスとは違う「社会的寛容」、あるいは「攪乱されることのない伝統的な土地」があると思った。彼の母国は大革命のときにすべての大学を廃止してしまったからである。
フランスはその後、ヨーロッパの「大地」をも踏み荒らしてしまうだろう。プロイセンはナポレオンへの抵抗のなかでベルリン大学を創設し、近代国家としてのドイツの礎とした。普仏戦争に敗北したフランスは、19世紀末にドイツにならって「近代」の大学を復活させるが、第一次世界大戦で再びドイツと戦い、塹壕戦の泥沼で無数の人間を死なせてしまう。両国に欠けていたのは、まさにマラルメがイギリスに見出した「社会的寛容」の精神かもしれない。
しかしそのイギリスにおいてさえ、サッチャーによる大学改革(1979年)でそのような精神はすっかり失われてしまった。イギリスのかつての伝統を引きつぐアメリカの有名私立大学やリベラルアーツ・カレッジ(全寮制少人数教育の学士課程のみをもつ大学)にしても、その豊かな環境は、高い学費と寄付(たしかに寛大なものかもしれない)によって支えられているにすぎない。2011年秋にウォール街を占拠した群衆は、アメリカでは1%の富裕層が99%の民衆を支配していると叫んでいる。世界のいたるところで「怒れる者たち」の反乱が起きているが、この「怒り」は端的に、大学が「禁域」として一握りのエリートに独占されていることへの拒否なのである。
かつて日本には、大学がすべての人に開かれると思われた時代があった。すべての県に国立大学がおかれ、帝国大学や私立大学も含めて「新制大学」として一元化されたときである。旧制高校から帝国大学へと進んだ者にのみ許されていた特権が、すべての学生にある程度まで許されるようになると人々は信じた。自分の子どもを大学に入れることが、焼け跡から立ち上がろうとしていた民衆にとっての希望となり、それがこの国の「奇蹟の復興」を支えた。しかし大学の大衆化が進むなか、東西冷戦のせいで戦前のイデオロギーが復活する。大学もまたそのなかで反動化する。旧帝大系の支配的な地位は入試という制度によって再び揺るぎないものとなり、私立大学も学費が少しずつ高くなることで民衆から遠いものとなってしまう。歴代の政府は無償の高等教育を国民に保障する代わりに、新幹線、高速道路、そして原発の建設を優先したのである。
小泉純一郎元首相(2001年〜2006年)のもとでの遠山敦子文部科学相による「聖域なき改革」は、民衆にとってさらに「不寛容」なものとなった。それは「禁域」としての大学をすべての人に開放するどころか、戦後の民衆の夢を幻想として切り捨てるような改革でしかなかった。すべての大学が「競争的環境」に投げ込まれ、予算が削減されるなかで「生き残り」を賭けた改革が迫られ、教育環境はむしろほとんどの大学で劣化した。校舎はきれいになったが教員が減らされ、第二外国語を学べないような大学や学部はいまではざらである。
それではどうして日本の若者は静かなのだろうか。「就活」はほとんど屈辱でしかないし、福島第一原発の事故による放射能汚染の影響は彼らの世代にもっとも深刻である。彼らはそれでも「社会的寛容」を失わない世界でもまれな若者なのだろうか。それとも親の世代の大学への夢が、いまでも彼らのなかに眠っているのだろうか。おそらく彼らは知っているのだ。国が不寛容なら民衆は啓蒙されてあらねばならないということを。原発事故とその後の対応で、エリートや専門家への信頼が根底から揺らぎ、そのために大学への信憑さえ薄らいでしまったいま、彼らはだまされないくらいには啓蒙されている。そうでないのは、命令されたり専門家の意見を聞いたりしないと何もできない大人たち、そしてネオリベラリズムに犯され、経営のことしか考えられなくなってしまった学長たちである。
すでにEU(欧州連合)には「ヨーロッパ高等教育圏」なるものができている。しかしそこには大学の理念をめぐる不一致があり、それは簡単には乗り越えられないとクリストフ・シャルル(パリ第1大学、歴史学)は述べている。もとよりアメリカの連邦政府のような権限はEUにないし、その各国には日本や中国や韓国やインドがもつような科学・テクノロジー開発への自発性が欠けている。またポール・ヴァレリー(マラルメの若い友人でもあった)がアメリカや日本の台頭をまえに「ヨーロッパ」を意識したように、「ヨーロッパ高等教育圏」も「グローバリゼーション」のなかでアメリカや日本(とりわけその科学技術開発への投資の脅威)に対抗するために創られたものだった。そこにはグランド・ゼコール(フランス独自の高等教育機関)の存在をヨーロッパ全域で認めさせようとするフランスの、ナポレオン的な意志さえ見え隠れする。
ジャック・デリダによれば、ヨーロッパとはユーラシアから突き出た「キャップ」(「岬」あるいは「頭」)である。そこにおいて「キャピタリズム(資本主義)」も培われた。しかし蒸気機関を動かすための燃料(木材、石炭、石油)をめぐる利権争いは、帝国主義的な対立と戦争をもたらし、二度目の世界大戦では核兵器も使われた。そしてその後に原子力発電が始まり、チェルノブイリとフクシマという「ヨーロッパ」の東の辺境でカタストロフが起こった。いまやテクノロジーは人類を生かしも殺しもする第二の自然となっている。
ヨーロッパはEUを構成することでユーラシアから自らを切り離した。しかし「キャプテン」を欠いたまま大洋へと出たこの船は、その舳先(キャップ)をどちらに向けてよいのかわからない(国王と王妃をギロチンで処刑した後の19世紀のフランスのように、その混乱は今後もしばらく続くのだろう)。いま大学は、こうして漂流を始めた「ヨーロッパ」あるいは「グローバル化」された世界のいたるところで、イマジネールな「首都」(ラ・キャピタル)として機能しなければならない「頭」(キャップ)である。「脱亜入欧」をめざした日本や、もともとユーラシアから離れたところに「帝国」を築いたイギリスやアメリカも、その船に「すでに乗船している」(パスカル)ことにおいて変わりはない。ヨーロッパにおいて誕生し、その形成に関わったがゆえに、大学は、「資本」(ル・キャピタル)との共犯を問われ、それを断ち切るように求められている「身体」なのである。
マラルメの描くエロディアードは、洗礼者ヨハネの断頭を命じ、その首との「結婚」によって地上に救世主をもたらす王女であった。またシェークスピアの描くハムレットは、真理と正義をひたすら追求することで、クローディアスのような邪な王の支配から民衆を救う王子であった。彼らには護ってくれるような親はいなかった。いまや「法人」として教会や国家の庇護のもとから離れた大学も、「資本」や「首都」との関わりにおいて、この王女や王子のような存在であらねばならないのではないのか。そしてそこに生きる学生や教員も、一人ひとりが鏡をまえにしたエロディアード、あるいは「自分という書物を読みながら歩くハムレット」(マラルメ)ではないのか。王女や王子にはもとより就職の心配はない。彼らは「エリート」でもないし「人的資本」でもない。地上にあって民衆とともに/のために闘う、一つの自律した魂である。
洗礼者ヨハネは断頭されることを自ら望み、その首から流れる血でエロディアードを懐胎させた。エロディアードによって捨てられたその首は、地平線の向こうに落日を光背にして沈んでゆく。教える者と学ぶ者の「婚姻」も、おそらくはそのようにして成就するのだろう。夜空には昇天した知が星となって輝いている。人文学はそのなかでも中心にあるべき星座だ。なぜならそれは近代科学の成立以前からそこに輝いているし、地上における人類の生存も、「新たなユマニテ(人類=人文学)」の生成のための、その脱構築にかかっているからである。
ハムレットの大学 目次
はじめに―フクシマ以後の人文学 1第一部 イマジネールな知の行方
エロディアードの大学―マラルメとデリダによる 12
リクルートスーツのハムレットたちへ 33
ハムレットの大学 58
大学蜂起論―リオタールとデリダによる 76
第二部 アレゼールによる大学論
アレゼールの目指すもの―フランスの大学改革におけるその立場 102
学長たちの惑星的思考―大学改革の日仏比較 123
ボローニャ・プロセスと『大学の歴史』―アレゼールからの批判と提言 136
世界同時大学危機とアレゼール 153
フクシマ以後の大学 169
「国立大学法人化」前後のアレゼール日本の言葉から 180
マニフェスト 2003.4東京 180
私立大学の「危機」 182
「大学教員の採用、真の公募制のために!」 185
大学での第二外国語をどうするのか 187
大学を覆うモラルハザード―公共性を危うくする「経営」先行 189
どうして日本の大学ではストが起きないか 191
第三部 世界という書物
表象、ジャーナリズム、書物 206
書物逍遙(2004〜2013年 書評) 214
書物という爆弾―1890年代、ドレフュス派としてのマラルメ 233
マラルメによる都市の戴冠、『ディヴァガシオン』を読む 262
おわりに―ブルデュー『国家について』の余白に 291
初出一覧 301