夢をかなえる障害者アスリート
全国8000キロに及ぶハンドバイクの壮大な旅の記録を軸に、障害者アスリートの人生哲学、そして日本社会の課題に迫る
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- タイトル
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- 著者・編者・訳者
- TE-DEマラソン実行委員会編
- 永野明・渡辺敦子著
- 発行年月日
- 2014年 9月 19日
- 定価
- 2,420円
- ISBN
- ISBN978-4-7948-0979-7
- 判型
- 四六判並製
- 頁数
- 272ページ
著者・編者・訳者紹介
編者-TE-DEマラソン実行委員会-
2008年、東京‐福岡縦断を機に発足。
メンバーは永野明を筆頭に、永野が代表を務める障害者プロレス団体FORCEの選手や支援団体に所属する有志など約10名。
「ピースラン」や日本縦横断を通じ、ハンドバイクと障害者スポーツの普及に努めている。
2008年、東京‐福岡縦断を機に発足。
メンバーは永野明を筆頭に、永野が代表を務める障害者プロレス団体FORCEの選手や支援団体に所属する有志など約10名。
「ピースラン」や日本縦横断を通じ、ハンドバイクと障害者スポーツの普及に努めている。
内 容
両腕でクランクを回して前進させるハンドバイク。かつては戦争で下肢を失った人のための改造自転車として使われていたが、現在ではパラリンピックの正式種目として、平均時速30キロを超えるスピードレースも開催されている。障害者スポーツに取り組むアスリートたちは、残された身体機能を最大限に活かし、その能力を発揮している。その迫力は、機能を持ち合わせながらも活かしきれていない健常者の無力さをもあらわにする。
1歳の頃から下肢に麻痺を抱えている永野明は、ハンドバイクに魅了されて日本縦断を決意する。そしてその旅から、本書の編者ともなる「TE-DE(手で)マラソン実行委員会」が生まれた。最初の走行となった「東京―福岡縦断」では、歩調を合わせて移動するということが、永野だけでなく伴走者にとっても初めての経験であったため、両者ともに葛藤を抱え続けた。また、原爆が投下された8月6日と9日を「忘れてはいけない日」にしたいという思いではじめた「ピースラン」では、タスキを引き継ぎながら広島―長崎間を走破した。そして日本縦横断の旅では、坂道に苦労する高齢者の姿、東北の地で復興支援にあたる若者の覚悟を幾度となく目にした。
TE-DEマラソンはこれまでに約八〇〇〇キロに及ぶ軌跡を残している。本書は、それらの記録をもとに、障害者アスリートの人生哲学に迫るものである。永野は言う。「走れない、一人で電車に乗れない……障害者は、“ナイナイづくし”でできないことばかりを数えてきた。しかし、できることだけを信じればいい」。TE-DEマラソンの旅で永野が実感したことは、社会が様々な人間の集合体であること、さらに、そこで各人が持ち合わせているちぐはぐな能力や役割を組み合わせていくことの重要性であった。では、各人各様の能力や機能をどう活かせばよいのか―それは、課題山積の日本社会そのものに向けられた問いである。(著者 渡辺敦子)
1歳の頃から下肢に麻痺を抱えている永野明は、ハンドバイクに魅了されて日本縦断を決意する。そしてその旅から、本書の編者ともなる「TE-DE(手で)マラソン実行委員会」が生まれた。最初の走行となった「東京―福岡縦断」では、歩調を合わせて移動するということが、永野だけでなく伴走者にとっても初めての経験であったため、両者ともに葛藤を抱え続けた。また、原爆が投下された8月6日と9日を「忘れてはいけない日」にしたいという思いではじめた「ピースラン」では、タスキを引き継ぎながら広島―長崎間を走破した。そして日本縦横断の旅では、坂道に苦労する高齢者の姿、東北の地で復興支援にあたる若者の覚悟を幾度となく目にした。
TE-DEマラソンはこれまでに約八〇〇〇キロに及ぶ軌跡を残している。本書は、それらの記録をもとに、障害者アスリートの人生哲学に迫るものである。永野は言う。「走れない、一人で電車に乗れない……障害者は、“ナイナイづくし”でできないことばかりを数えてきた。しかし、できることだけを信じればいい」。TE-DEマラソンの旅で永野が実感したことは、社会が様々な人間の集合体であること、さらに、そこで各人が持ち合わせているちぐはぐな能力や役割を組み合わせていくことの重要性であった。では、各人各様の能力や機能をどう活かせばよいのか―それは、課題山積の日本社会そのものに向けられた問いである。(著者 渡辺敦子)
も く じ
まえがき i
第1章 パートナーは手で漕ぐマシン 3
○一二〇〇キロを走行しよう 4○パートナー探し 7
○手で漕ぐ自転車「ハンドバイク」 11
○ハンドバイクのレース競技 14
○トレーニングのはじまり 20
○TE-DEマラソンのキックオフ 25
第2章 上腕で日本を駆けめぐれ!――「TE-DEマラソン」の記録 29
○故郷へ、出発進行! 30TE-DEマラソン 東京→福岡 一二〇〇キロ 32
○いざ、スタート(東京・日本橋〜静岡・熱海 115・66キロ) 32○下り坂での加速(静岡・熱海〜静岡・御前崎 146・82キロ) 36
○別れと出会い(静岡・御前崎〜愛知・岡崎 118・22キロ) 40
○歩道橋から横断幕(愛知・岡崎〜滋賀・彦根 136・33キロ) 42
○雨と遅れでルート変更(滋賀・彦根〜京都 87・25キロ) 46
○初めての単独走行(京都市内〜兵庫・姫路 147・92キロ) 51
○火事場のバカ力(兵庫・姫路〜岡山市内 93・10キロ) 57
○携帯電話でのインターネット中継(岡山市内〜広島・安芸津 141・49キロ) 58
○欽明路峠での決断(広島・安芸津〜山口・岩国 115・65キロ) 62
○関門トンネルから故郷へ(山口・下関〜福岡市 98・25キロ) 71
○あんたは走っただけや 74
○僕もメロンも、育ててもらっている――走り終えて思ったこと 76
TE-DEマラソン ピースラン 広島→長崎 78
○約束を果たすために 78○二年目のピースランはリレー方式(広島・原爆ドーム〜山口・新山口駅 129キロ) 86
○南下しているはずなのに……(山口・新山口駅〜福岡・小倉駅 87・3キロ) 88
○九州の箱根を越える(福岡・小倉駅〜佐賀・嬉野温泉 159キロ) 91
○平和公園にゴール(佐賀・嬉野温泉〜長崎・平和祈念像前 59キロ) 93
○メダリストのお辞儀の理由――三年目のピースラン 95
○体力と走行距離の配分 98
○バトンをつなぎ続ける 100
TE-DEマラソン 九州一周一〇〇〇キロ 103
○地元九州に恩返し 103○懐かしい出会い(長崎駅〜佐賀・嬉野温泉 67・3キロ) 108
○コンビニ食と温かい食事(佐賀・嬉野温泉〜福岡・羽犬塚駅 66・4キロ) 114
○単独走行で熊本を目指す(福岡・羽犬塚駅〜熊本市内 74・9キロ) 116
○熊本の三太郎(熊本市内〜熊本・水俣駅 95・6キロ) 117
○おばあちゃんの隠れた体力(熊本・水俣駅〜鹿児島・川内駅 66・1キロ) 119
○ハンドバイクにとっての橋、高齢者にとっての橋(鹿児島・川内駅〜鹿児島・霧島 103・4キロ) 122
○休息の楽しみ(鹿児島・霧島〜宮崎・都城駅 35・4キロ) 126
○後半のスタート(宮崎・都城駅〜宮崎・高鍋 86・6キロ) 127
○地元の陸上選手からアドバイス(宮崎・高鍋〜宮崎・北川 77・2キロ) 129
○人力車で日本一周?(宮崎・北川〜大分・別府 92・9キロ) 132
○パワースポットの願う完走(大分・別府〜福岡・小倉 119・2キロ) 133
○ゴールへの「ありがとう」(福岡・小倉〜福岡・博多駅 78・8キロ) 136
TE-DEマラソン 日本横断五〇〇キロ 142
○東日本大震災 142○僕にできることは、走ること 145
○碓氷峠という難所 147
○「直江津」って、どこだろう 150
○初めての寄り道 152
○金沢へのゴール 153
TE-DEマラソン 日本縦断三二〇〇キロへのチャレンジ 156
○日本縦断の準備 156○北海道はでっかいどう 160
○バイカーとの走行 162
○半年ぶりの石巻 165
○福島県の国道4号を南下しながら考えたこと 167
○集中豪雨 169
○本栖湖ファンドレイジングマラソンに参加 170
○大学でハンドバイク体験会 174
○日本縦断を達成するために四国へ 176
○いよいよ後半、身体のケアはバッチリ 182
○走ることが日常に 185
第3章 ハンディキャップという宿命 187
○博多で一番厳しい専属トレーナー 188○「できない」自分を守っていた 190
○僕の決断 193
○東京での独り暮らし、そして就職 196
○障害者レスラーとしての出発 197
○永野・V・明として 199
○「また次に」と言われるレスラーに 201
○音のないプロレス 203
第4章 人の縁が運んできた「運命」 207
○福岡に障害者プロレスを 208○体重三〇キロ台のボディービルダー 210
○障害者の覆面レスラー登場 213
○伴走者となった畠中 216
○食べ物に対する永野のこだわり 218
○シェア七六一七件 221
第5章 できることを活かすという「使命」 225
○自分の機能を確認する 226○障害と付き合うということ 228
○運動能力ゼロを覆す 229
○自分のポジションを決める 231
○楽しさで人を巻き込む 233
○一〇〇パーセントの力を出す 235
おわりに――「三つの命」を活かすということ 237
あとがき 248