国際文化学への招待
地球規模から個人の内部まで、異文化理解の方法を総合的に捉える新しい知の領域!
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国際文化学への招待
- タイトル
- サブタイトル
- 衝突する文化、共生する文化
- 著者・編者・訳者
- 島根國士・寺田元一編
- 発行年月日
- 1999年 4月 15日
- 定価
- 3,300円
- ISBN
- ISBN4-7948-0442-3
- 判型
- A5判並製
- 頁数
- 312ページ
内 容
「グローバル化」の嵐の中で現在、多文化主義、「複数文化」が唱えられ、また、「カルチュラル・スタディーズ」という、新たな現代的文化学が英米を中心に展開されている。そうした新しい傾向に共通するのは、文化を民族単位で孤立的実体的に捉える文化観を批判し、文化を相互交流の相で捉える姿勢である。同時に、西洋文明中心の文化観を批判し、西洋文化も非西洋文化も同等とみなす共通姿勢も読み取れる。
このように新たな文化学の胎動にもかかわらず、「グローバル化」の中での異文化の共生という焦眉の課題に応えられるようには、それはまだ体系化されていない。そうした状況を踏まえ、この文化学を「国際文化学(インターカルチュラル・スタディーズ)」としてまずは産み出し、読者とともに体系化に向けた一歩を踏みだそう、という趣旨で本書は編集された。体系化に向けて、文化人類学、国際関係論、異文化行動諸科学、文学、歴史、哲学、言語学などの学際的協力が不可欠となろう。本書もそうした学際性に留意した構成をとった。国際文化学は主として文化と文化の国際的な衝突・共存・変容といった問題を扱うが、もちろんそれのみならず、国家・地域・個人内部の多文化関係も対象となる。
以上から、本書の各テーマと執筆者は次のようになっている。第一部<文化の間から文化を見る>は、「文化多元主義」(別所良美)、「トランスレータビリティ」(野村直樹)、「英語冠詞の異文化性の正体」(日木満)、「『日本人らしさ』を確認できない比較文化研究」(高井二郎)。第二部<国民文化学を国際文化学へと開く>は、「神は男性か女性か——遠藤周作とG・グリーン」(島根國士)、「プロイセン芸術アカデミーにおける論争について」(森田明)、「フォークナーにおけるフランスのイメージの変容」(田中敬子)、「オーストリアをめぐる多民族国家と国民文学」(土屋勝彦)、「『オシアン詩集』にみる口承文化」(三浦義章)、「小笠原諸流とは何か」(ハルトムート・ランパルト)、「18世紀ヨーロッパはオリエントをどうとらえたか」(寺田元一)、「アメリカ・アイデンティティ」(ジェームズ・ダンジェロ)。
このように新たな文化学の胎動にもかかわらず、「グローバル化」の中での異文化の共生という焦眉の課題に応えられるようには、それはまだ体系化されていない。そうした状況を踏まえ、この文化学を「国際文化学(インターカルチュラル・スタディーズ)」としてまずは産み出し、読者とともに体系化に向けた一歩を踏みだそう、という趣旨で本書は編集された。体系化に向けて、文化人類学、国際関係論、異文化行動諸科学、文学、歴史、哲学、言語学などの学際的協力が不可欠となろう。本書もそうした学際性に留意した構成をとった。国際文化学は主として文化と文化の国際的な衝突・共存・変容といった問題を扱うが、もちろんそれのみならず、国家・地域・個人内部の多文化関係も対象となる。
以上から、本書の各テーマと執筆者は次のようになっている。第一部<文化の間から文化を見る>は、「文化多元主義」(別所良美)、「トランスレータビリティ」(野村直樹)、「英語冠詞の異文化性の正体」(日木満)、「『日本人らしさ』を確認できない比較文化研究」(高井二郎)。第二部<国民文化学を国際文化学へと開く>は、「神は男性か女性か——遠藤周作とG・グリーン」(島根國士)、「プロイセン芸術アカデミーにおける論争について」(森田明)、「フォークナーにおけるフランスのイメージの変容」(田中敬子)、「オーストリアをめぐる多民族国家と国民文学」(土屋勝彦)、「『オシアン詩集』にみる口承文化」(三浦義章)、「小笠原諸流とは何か」(ハルトムート・ランパルト)、「18世紀ヨーロッパはオリエントをどうとらえたか」(寺田元一)、「アメリカ・アイデンティティ」(ジェームズ・ダンジェロ)。