マヤ終焉
文明の痕跡と先住民の現在から得られたもう一つの旅の眼座し
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- 関連ワード
- マヤ終焉
- タイトル
- サブタイトル
- メソアメリカを歩く
- 著者・編者・訳者
- 土方美雄著
- 発行年月日
- 1999年 12月 15日
- 定価
- 2,750円
- ISBN
- ISBN4-7948-0468-7
- 判型
- 四六判上製
- 頁数
- 336ページ
著者・編者・訳者紹介
土方美雄(ひじかた・よしお)
1951年、神奈川県生まれ。漫画原作者、フリーライター等を経て、現在は主に業界紙の編集に従事しつつ、年に数回、東南アジアや中米への旅に出掛ける日々。古代アメリカ研究会会員。主な著書に、『靖国神社』(社会評論社)、『京セラ その光と影』(れんが書房新社)、 『検証国家儀礼』(共著、作品社)、『君はオリンピックを見たか』(共著/社会評論社、1998年)、『アンコールへの長い道』(新評論、1999年)、『マヤ終焉』(新評論、1999年)、『写真でわかる謎への旅/メキシコ』(共著/雷鳥社、2001年)など。
著者ブログ:「土方美雄の日々これ・・・」
1951年、神奈川県生まれ。漫画原作者、フリーライター等を経て、現在は主に業界紙の編集に従事しつつ、年に数回、東南アジアや中米への旅に出掛ける日々。古代アメリカ研究会会員。主な著書に、『靖国神社』(社会評論社)、『京セラ その光と影』(れんが書房新社)、 『検証国家儀礼』(共著、作品社)、『君はオリンピックを見たか』(共著/社会評論社、1998年)、『アンコールへの長い道』(新評論、1999年)、『マヤ終焉』(新評論、1999年)、『写真でわかる謎への旅/メキシコ』(共著/雷鳥社、2001年)など。
著者ブログ:「土方美雄の日々これ・・・」
内 容
本書は1991年から98年にかけて、前著『アンコールヘの長い道』の旅と同時平行的に行った、私のもうひとつの旅の記録である。行き先はメキシコや中米、いわゆる「メソアメリカ」と呼ばれている地域である。
メソアメリカとは地理的な区分ではない。それは紀元前1200年ごろ、あるいはそれ以前から、16世紀のスペイン人による征服に至るまで、様々な都市文明が興亡を繰り返した地域を指す、文明史的な区分なのである。マヤ文明はメキシコのチアパス州からユカタン半島にかけてと、グァテマラとベリーズの全域、そしてホンジュラスとエルサルバドルの一部を含む地域において栄えた、そんなメソアメリカを代表する文明のひとつである。今から30年も前のまだ高校生だったころ、偶然、父の本棚で見つけた『マヤの神殿』という一冊の本が、私がこの深い密林の中に眠る壮麗な神殿都市群に対する関心を抱く、きっかけとなった。いつか必ず自分自身の目でこれらの遺跡を見たいと思いつつ、長い年月が経過してしまった。確かに旅はそんな私的で懐古的な想いから、スタートしたのである。
マヤをはじめメソアメリカ各地の都市文明を築いたのは、決して宇宙人でも超古代人でもなく、コロンブスによって「インディオ」と呼ばれた、先住民である。彼らの築いた文明の痕跡を辿る旅は、同時に彼らが現在置かれている境遇、その差別と抑圧の歴史、無権利状況を、いやがおうでも実感せずにはいられない旅ともなった。そうした先住民の現状抜きに、過去の遺跡のことをのみ語ることは、やはり犯罪的なことなのではないかという自問自答をくり返しつつ、私は旅を続け、旅行記を書き続けて来た。本書の最後を「過去から現実へ」という文章で締めくくったのは、そうした想いからである。
本書は「ベリーズのマヤ遺跡」「メキシコ中央高原からオアハカ盆地、そしてチアパスの地へ−メソアメリカ右往左往−」「遥かなるマヤ−グァテマラ、ポンジュラス−」「マヤ終焉−ユカタン半島再訪−」の四つの章と、プロローグ・エピローグからなる、そんな旅の中間報告である。読んでいただければ、幸いである。
メソアメリカとは地理的な区分ではない。それは紀元前1200年ごろ、あるいはそれ以前から、16世紀のスペイン人による征服に至るまで、様々な都市文明が興亡を繰り返した地域を指す、文明史的な区分なのである。マヤ文明はメキシコのチアパス州からユカタン半島にかけてと、グァテマラとベリーズの全域、そしてホンジュラスとエルサルバドルの一部を含む地域において栄えた、そんなメソアメリカを代表する文明のひとつである。今から30年も前のまだ高校生だったころ、偶然、父の本棚で見つけた『マヤの神殿』という一冊の本が、私がこの深い密林の中に眠る壮麗な神殿都市群に対する関心を抱く、きっかけとなった。いつか必ず自分自身の目でこれらの遺跡を見たいと思いつつ、長い年月が経過してしまった。確かに旅はそんな私的で懐古的な想いから、スタートしたのである。
マヤをはじめメソアメリカ各地の都市文明を築いたのは、決して宇宙人でも超古代人でもなく、コロンブスによって「インディオ」と呼ばれた、先住民である。彼らの築いた文明の痕跡を辿る旅は、同時に彼らが現在置かれている境遇、その差別と抑圧の歴史、無権利状況を、いやがおうでも実感せずにはいられない旅ともなった。そうした先住民の現状抜きに、過去の遺跡のことをのみ語ることは、やはり犯罪的なことなのではないかという自問自答をくり返しつつ、私は旅を続け、旅行記を書き続けて来た。本書の最後を「過去から現実へ」という文章で締めくくったのは、そうした想いからである。
本書は「ベリーズのマヤ遺跡」「メキシコ中央高原からオアハカ盆地、そしてチアパスの地へ−メソアメリカ右往左往−」「遥かなるマヤ−グァテマラ、ポンジュラス−」「マヤ終焉−ユカタン半島再訪−」の四つの章と、プロローグ・エピローグからなる、そんな旅の中間報告である。読んでいただければ、幸いである。