詩国へんろ記
1400キロの徒歩の旅。四国八十八か所霊場巡りが人の心の奥底に眠る水脈を蘇らせる
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- 関連ワード
- 詩国へんろ記
- タイトル
- サブタイトル
- 八十八か所ひとり歩き 七十三日の全記録
- 著者・編者・訳者
- 細谷昌子著
- 発行年月日
- 1999年 10月 25日
- 定価
- 3,300円
- ISBN
- ISBN4-7948-0467-9
- 判型
- A5判並製
- 頁数
- 416ページ
著者・編者・訳者紹介
著者-細谷昌子(ほそや・まさこ)/1941年、東京生まれ。女子美術大学卒。1973年よりフリーで出版編集関連の仕事に従事。日本歩け歩け協会会員。本書は著者自らによる写真・イラスト130点を収録したヴィジュアル版。
内 容
四国遍路から4年──旅が私の心に起こした大きな渦をしずめるには充分な時間が過ぎた。だが、今思い起こしてみても1400キロの徒歩遍路の収穫には計り知れないものがあったという思いは変わらない。最も原始的な「徒歩」という手段で四国を巡ったその旅は、飛行機でどんな遠方へ行くよりも遠くへ私を運んでくれたような気がする。
旅先に、弘法大師の霊場として名高い「四国八十八か所」を選んだのは、偶然にすぎない。たまたま手にした旅行雑誌の「八十八か所」紹介記事で、弘法大師の信者でなくても歩いていいらしいと知ったからである。全長1400キロは、「歩きたい」私の欲求を充分に満たしてくれそうだったし、ルートが明確で宿も確保できそうだという、およそ信仰からは遠い理由での選択だった。
四国は私に「自然の一部である自分」を思い知らせた。そして、長い歴史の根底には、本来人類が持っている「優しさ」が地下水脈のように流れ続け、受け継がれ、それが人間を支え続けているのだということも。自分のことは自分がいちばん知っていると思いがちだが、自分のなかには自分でさえ気付かない人類の歴史が刻まれて眠っている。弘法大師は水脈を探し出すことに長けていたと言われるが、四国の霊場を巡るなかで、人は自分の心の水脈に触れ、溢れ出す「清流」に驚かされる。詩人・坂村真民は「四国」を「仏島詩国」とうたったが、混沌の渦巻くこの国の片隅に、人の心の奥底に眠る水脈を蘇らせる、「仏島詩国が在る」幸せを思う。
「歩く」人が増えている。人は「歩く生きもの」であるにもかかわらず、文明の発達は、「歩く」という行為から人をどんどん遠ざけていった。昨今のウォーキングブームの根源には、文明の歪みへの本能の反逆、原始の目覚めの喜びが潜んでいるように思われてならない。
『詩国へんろ記』は、私の旅を支えてくれた方々への感謝のレポートのつもりで綴ったものである。しかし、四国徒歩遍路の味わいを言葉で伝えることは極めて難しい。その味を知った人は、伝え切れないもどかしさを胸に口を揃えて言う。「行けばわかります」と。
旅先に、弘法大師の霊場として名高い「四国八十八か所」を選んだのは、偶然にすぎない。たまたま手にした旅行雑誌の「八十八か所」紹介記事で、弘法大師の信者でなくても歩いていいらしいと知ったからである。全長1400キロは、「歩きたい」私の欲求を充分に満たしてくれそうだったし、ルートが明確で宿も確保できそうだという、およそ信仰からは遠い理由での選択だった。
四国は私に「自然の一部である自分」を思い知らせた。そして、長い歴史の根底には、本来人類が持っている「優しさ」が地下水脈のように流れ続け、受け継がれ、それが人間を支え続けているのだということも。自分のことは自分がいちばん知っていると思いがちだが、自分のなかには自分でさえ気付かない人類の歴史が刻まれて眠っている。弘法大師は水脈を探し出すことに長けていたと言われるが、四国の霊場を巡るなかで、人は自分の心の水脈に触れ、溢れ出す「清流」に驚かされる。詩人・坂村真民は「四国」を「仏島詩国」とうたったが、混沌の渦巻くこの国の片隅に、人の心の奥底に眠る水脈を蘇らせる、「仏島詩国が在る」幸せを思う。
「歩く」人が増えている。人は「歩く生きもの」であるにもかかわらず、文明の発達は、「歩く」という行為から人をどんどん遠ざけていった。昨今のウォーキングブームの根源には、文明の歪みへの本能の反逆、原始の目覚めの喜びが潜んでいるように思われてならない。
『詩国へんろ記』は、私の旅を支えてくれた方々への感謝のレポートのつもりで綴ったものである。しかし、四国徒歩遍路の味わいを言葉で伝えることは極めて難しい。その味を知った人は、伝え切れないもどかしさを胸に口を揃えて言う。「行けばわかります」と。